その昔、ぼたんは奈良の総本山長谷寺から移植され、西新井大師では文化・文政(1804-30)の頃よりぼたん園が展開されました。
「西の長谷寺・東の西新井」とは、ぼたんの名所を表す言葉です。
西新井大師に3ヵ所あるぼたん園のうち、最も大きいのは第2ぼたん園。遊歩道も整備され、大師駅前から東門へと誘うように配されています。趣のある山門とともに情景を生み出す第3ぼたん園など、大小の園はそれぞれに特色ある魅力を表現します。
境内のぼたんが満開になる頃、西新井大師の「花まつり」の賑わいは最盛を迎えます。
牡丹について
一説によると、お大師様が薬用として中国から株を持ち帰ったのが日本で初めてのぼたんである(仙伝抄より)とされていますが、真相は定かではありません。
「美人が座った姿」と形容される花は、色鮮やかな着物の美人を思わせる品格。
豊かな花弁が何枚も重なる大輪は「百花の王」とも「万花の王」とも言われます。
奈良の総本山長谷寺に関する鎌倉時代の書物『長谷寺霊験記』には、日本で初めてのぼたんについて、次のような記述があります。
「唐の僖宗皇帝の妃、馬頭夫人(めずぶにん)が自分の醜さを気にしていたところ、『日本大和長谷寺観音に立願しなさい』と仙人に言われたので、使者を遣わしてお願いをした。すると観音の霊験を受けて、妃は絶世の美女になり、そのお礼に牡丹十数株を献木した。」 長谷寺のぼたんは約150種、7000株にもおよび、総本山は東洋一のぼたん寺となっています。
西新井大師のぼたんは、この総本山長谷寺の株を移植され、現在、寺社では関東一の規模を誇ります。